2000年3月
慶應義塾大学環境情報学部
佐藤雅彦
16個の考えがそのとき、パラパラと動き出した。
この「動け演算・プロジェクト」は、1999年春学期、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにおける『コンピュータにとっての次の表現』という名の私の研究会のひとつの課題から始まった。
そもそも、この研究会はコンピュータを単なる道具として捉えるだけではなく、「コンピュータやその周辺技術を創り上げている様々な考え方(例えば、algorithm とか sort とか protocol とか)」を基に、まったく新しい表現の可能性を導こうという研究のために組織された。
アウトプットを特にモニターだけに限らない、この表現への模索は、様々なメディア上での展開が予期されたが、習作として最初に選んだメディアは、flipbook という原始的ともいえる紙のメディアであった。私自身、この課題をまさか形にして世に出そうなんて、その発表を見るまでは夢にも思わなかった。ましてや、第一回目の課題である。正直いえば、16人の学部生の個性をこれによって知ることができれば、これからの研究会の進め方に役立つのでは、ぐらいに気軽に考えていたのである。
flipbook の課題を出すとき、ひとつだけ制約をつけた。黒板に次のように書いた。
compute=計算する
そして、さらに口頭で補足した。「自由に自分の感性で絵を描くのではなく、計算や、ある数式を使うか、それが無理なら線分や角度などを配分することによって animation を作りなさい。いわば、“compute=計算する”ことによって animation を作るわけです。computer graphics ならぬ“compute”graphics です」
私が指示したのは、これだけである。
翌週、同じ曜日、同じ時刻に、私が見たものは、今、皆さんが目にしているものとほとんど変わらないものであった。
みんな、ひとりひとり、自分の作ってきた flipbook を説明するために教壇に立ち、そして、教壇に備え付けられている書画台カメラ(OHC)の上で自分の作品を自らの手で、パラパラやりだした。と同時に、教壇の脇にあるスクリーンにその様子が投影された。
16個の考えがそのとき、パラパラと動き出した。
そこで私が見たものは、みんなの手の中で、私たちがいるこの世界とあきらかに違う「別の時間が流れている世界」であった。
flipbook(=パラパラマンガ)は、最もプリミティブなアニメーションである。animation とは“止まっているもの”に anima(魂)を与えて“動くもの”にするということが語源だが、この「動け演算・プロジェクト」で作られた flipbook には、表面上、“魂”のような熱いものは、感じられない。もっと温度の低い“計算”でさらさらと動いている。
なにかに対して常に忠実であろうとするその動きは、ある特有の美しさと規律を生んでいた。
私は、その場で、この美しい世界を世の中に提示することを決め、みんなにそれを告げた。とにかく、形にして世の中のひとに見てもらいたかったのだ。flipbook 自体がマイナーな表現だとか、逆に、この手の実験は既に見たことがある、とかの意見もその直後に出たが、関係なかった。
私はなにかに対して常に忠実であることをとても尊いと思っている。このフリップブックに、それを感じてしまったのだ。そしてもっと端的に言えば、この「さらさら」をいつまでも見ていたかっただけなのである。
最後になるが、こんなに形にしづらいものを具現化してくれた編集の沢水潤さん、印刷の武士俣剛さん、そして、学部生を的確に指導してくれた院生の前谷有紀さん、村上泉さん、藤村憲之さんに心から感謝の意を表したいと思います。
――ここに集まった16個の精神が、これからも永遠に刺激しあい、あたらしい価値をこの世界に創造してくれることを願いつつ、ここに、この小さなプロジェクトを封じます。